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まんが家「小島功」のエロチシズム。

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Bnooi.jpg 小島功(こじまこう)
1928年3月3日東京都生まれ。1947年、マンガ家仲間と同人集団「独立漫
画派」を結成。1956年に週刊アサヒ芸能(徳間書店)にて「仙人部落」を連載
開始、50年以上続く世界最長連載マンガとなっている。奔放でエロティック
な女性描写は日本一との声もあり、成人男性のみならず、広い層の支持を
獲得。1968年には日本漫画サンデー(実業之日本社)で連載していた「日本
のかあちゃん」で第14回文藝春秋漫画賞を受賞した。イラストレーターとして
の活動も盛んで、1974年に黄桜の2代目キャラクターのデザインを務め、その
CMは軽妙なテーマソングとともに一世を風靡した。1990年に紫綬褒章を受
賞、2000年には勲四等旭日小綬章を受賞。現在は「仙人部落」とビッグコミ
ックオリジナル(小学館)にて「ヒゲとボイン」を並行して連載しつつ、社団法
人日本漫画家協会会長を務めている。

僕が小島功を初めて知ったのは小6の時でした。おじいさんの読んでいた週
刊誌の裏表紙広告に、水牛の上に美しい裸婦が横ばいに寝そべっているイ
ラストであった。まだ純情であった僕にとっては何ともなまめかしく強烈に脳裏
に焼きついた。何しろ、女性のヌードなど写真にせよ絵にせよ見たことがなかっ
たからだ。勿論、この漫画家が小島功と言う人物であることは知る由もなかった。
のちに、漫画には大人の向けの大人漫画なるものがあることを知りました。
小島功は女性を描かしたら日本一の漫画家と言われており、手塚治虫も彼の
描く女性に影響されたそうだ。
小島功の描く女性はロマンチックでエロチックですねー。

*小島功は「こじまいさお」が本名だが知人達が「こうちゃん」と呼んでいたので
自らも「こう」と言うようになったと何かで聞いた覚えがある。

小島功オフィシャルホームページ

アニメ「仙人部落」は1963年9月4日 - 1964年2月23日までフジテレビ系で
放送された。全23話。





一コマ漫画
ボディペインティング 
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とてもクールなネグリジェ
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助かるかなこの運命線
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トップレス
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犯罪の影に女あり
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My Illust
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まんが家「上田とし子」の「フイチンさん」「お初ちゃん」「ぼんこちゃん」

image77.png 上田とし子 若い頃の上田としこ
上田 トシコ本名上田俊子(うえだ としこ、1917年8月14日 - 2008年3月7日)上田としこ)は、日本の漫画家。
少女誌執筆の頃は“”、新聞の執筆の頃は“上田とし子”、その後“ 上田トシコ”と現在まで3回ペンネームを変えている。
東京出身。旧満州(中国東北部)で子供時代を過ごす。57年から62年にかけ、旧満州を舞台に、太陽のように明るい少女を描いた「フイチンさん」を雑誌「少女クラブ」で連載。少女たちの人気者となった。60年、小学館児童漫画賞を受賞。「フイチンさん」は、少女むけのユーモア漫画の先駆者であると同時に、長谷川町子とならぶ最初期の女性漫画家として、後のマンガ界に大きな影響を与えた。

2008年3月7日心臓まひのため東京都文京区湯島の自宅で死去。90歳。

昭和35年 「フイチンさん」が第5回小学館児童漫画賞を受賞。
平成1年(1989) 「あこバアチャン」が日本漫画家協会賞優秀賞を受賞
平成11年(1999) 著作権法100年記念会より特別功労者文化賞を受賞
平成15年(2003) 日本漫画家協会文部科学大臣賞を受賞

僕は沢山のマンガ本を持っていた。それも現在プレミア価格のつくものばかりだ。
ある日、骨董屋さんが訪ねてきたのでその大半を思い切って売ってしまった。
何時までも後生大事にマンガ本を持っている年でも無いだろうと思ったからだ。
しかしどうしても手放したくない本だけはとって置いた。
下記の3冊もその内である。
としこ先生は、ハルピン小学校卒業後東京の頌栄高校わ卒業。松本かつじ氏にまんがを学び、その後、人体クロッキー研究所で約6年間基礎勉強。スイス人のスコット・メイリーさんより人体デッサンを約2年間学んでいるというだけに人物の動きに対する描写は実に見事である。まんがの動きというものはこのようにして描くものだというような、なめらかで柔軟性に富んでいる。とてもいい勉強になるので、彼女を知らない若い世代の人達にも機会があったら是非見て欲しい。

作者のことば 「フイチン」の名は、私の生まれる前から終戦まで忠義だった中国人のボーイマァさんの娘の名前です。小学生のころ挨拶に連れてこられた時、美しい韻の名だと思いました。
中国の星の名だとのことです。
フィチンさん
昭和44年4月30日初版発行¥240円虫コミックス発行所:虫プロ商事株式会社


作者のことばぼんこちゃんは、奔放と無邪気さと個性をうたった、私の啓蒙心もチョッピリふくめた家庭マンガです。あらゆる面にスモッグ汚染されてきている、今の時代に「ぼんこちゃん」から、少しでも清新な空気を感じていただけたら、さいわいです。
ぼんこちゃん
昭和46年9月30日初版発行¥260円虫コミックス発行所:虫プロ商事株式会社

作者のことばこれは、私がはじめてかいた青春まんがです。いまは男性の女性化女性の男性化が流行していますが私はお初ちやんには昔からの女性像を。本郷君にはたのもしい男性像をつくり、健康明朗な男女交際マンガを描いてみたかったのです。
お初ちゅん
昭和43年11月25日初版発行¥240円虫コミックス発行所:虫プロ商事株式会社

下記サイトで「フイチンさん」・「お初ちゃん」・「ぼんこちゃん」の立ち読みが出来ます。
コミックパーク

2003年劇場公開。 2004年ビデオアニメ化。


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青年漫画の教祖「永島慎二」

永島慎二肖像写真
永島 慎二(ながしま しんじ、1937年7月8日 - 2005年6月10日)は、
日本の漫画家。本名は永島 眞一(または真一、ながしま しんいち)。
東京都出身。本名は、眞一だが、出版社のミスで慎二となり
その後は慎二を使用。


中学生時代から漫画家になることを決意し、中学校中退後、新聞配達や豆腐売り
の仕事をしながら漫画を描き、1952年、『さんしょのピリちゃん』で漫画家デビュー
『トキワ荘』に出入りするようになり手塚治虫の面識を得て、手塚のアシスタント
となる。のち、独立して杉村篤(当時の筆名はコンタロー)、石川球太、深井国
(当時の筆名は深井ヒロー)らと「むさしのプロダクション」を結成。
その後、同じ国分寺に住まっていた、辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかをや「劇画工房」
のメンバーと交際。「劇画工房」分裂後は「さいとうプロダクション」に入社し、
絵柄が劇画風に変わる。また、新宿でフーテン生活を経験。
1961年に発表した『漫画家残酷物語』は、漫画業界の裏側に迫った作品で、永島の
出世作となった。COMやガロなどの漫画誌に数々の作品を発表し、独特の画風で
“青年漫画の教祖”と呼ばれるようになった。また、1964年から1966年までは
虫プロダクションに所属しており、テレビアニメ『ジャングル大帝』などで主に
演出を担当した。
1972年、『花いちもんめ』ほかにより、第17回(昭和47年度)小学館漫画賞受賞。
1974年、『漫画のおべんとう箱』により、第3回(昭和49年度)日本漫画家協会賞
優秀賞受賞。80年代以降、漫画家としては半隠居状態だった。
2005年6月10日、慢性心不全のため死去。享年67。長年糖尿病を患っていて、
00年からは人工透析を受けていた。
ーウィキヘディアよりー

虫プロ商事発行の月刊誌「COM」で彼の「フーテン」と言う作品に出会い衝撃を受ける。
今までに見たことがないペンタッチと独自の世界観に引き込まれた。
高3の時、卒業文集の表紙絵を担任の教師より描いてみないかと言われた。
この時描いたのが彼の漫画に頻繁使われる群集場面だ。
これを見たクラスの皆にひゃかされた。
群集場面の中に引き離された若い男女が見つめ合っている姿が描かれていたからだ。
これはいとして描いたものではなく、偶然にそのような感じになったものだが・・・。

「漫画家残酷物語」は全4巻ですが4巻が手元にありませんので3巻までの表紙
カバーを掲載してます。

昭和42年8月21日初版発行 朝日ソノラマ発行suncomics¥220円
永島慎二-1

昭和42年11月10日初版発行 朝日ソノラマ発行suncomics¥240円
永島慎二-2

昭和43年4月1日初版発行 朝日ソノラマ発行suncomics¥240円
永島慎二-3

彼の漫画にはこのような群集場面(モブシーン)がよく使われる。
昭和42年12月18日初版発行 朝日ソノラマ発行suncomics¥240円
永島慎二-5

月間漫画「ガロ」1969年7月増刊号「永島慎二特集』青林堂 ¥200円
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復刻版「漫画化残酷物語」完全版 出版社:ジャィブ 半型:A5判 ¥998円(税込)
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漫画化残酷物語-3

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天才!岡田史子(漫画家)

史子の肖像
岡田史子  本名・高田富美、1949年7月23日 - 2005年4月3日)は、
北海道静内町(現・新ひだか町)出身の漫画家。
詩的な作風の漫画を多く発表した

永島慎二、西谷祥子の元で一時アシスタントをした後、 1967年に手塚治虫主宰の
月刊漫画雑誌「COM」2月号で『太陽と骸骨のような少年』を発表し、商業誌デビュー。
1960年代後半、「COM」を中心に活躍した。1990年以降は漫画家としての活動はしていない。
寡作ながらその抽象的・難解ながら詩的で繊細な漫画は読む者を強く惹きつけた。
一作描くと同じ絵柄に飽きてしまうらしく、一作ごとに絵柄が異なる。
「COM」でしばらく作品を発表していたが、ある日ふいに筆を折って地元の北海道に帰り結婚。
その後漫画家としての活動はしていなかったが、彼女の熱狂的なファンである
萩尾望都の熱望により再度筆を取る。
しかし、「もうあの頃のような作品は描けない」と自ら再び作家活動を断念、
その後再び筆を取ることはなかった。2005年に永眠。(ウィキヘディアより)

1967年月刊誌「COM」に「太陽と骸骨のような少年」でデビュー。
彼女の作品を見て衝撃をうけた。
明らかに今までの少女漫画とは一線をおき、文学的なストーリーで叙情的な絵であった。
一コマ一コマが美しく、魅力的で感動し、心を奪われた。
今、改めて考えると僕より1才年上なだけだ。
僕は怠け者なのでいまだにレベルの低い絵しか描けないのに、彼女は高二の時には
もうデビューしてたわけだ。
萩尾望都は彼女のことを「天才」と称し、死後は「片思いの恋人」と言っている。
ここに掲載した漫画は僕のスクラップブックに貼り付けられていたものです。

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史子コミックス
「ODESSEY 1966~2003」岡田史子作品集episode1「ガラス玉」
 岡田史子・著 青島広志・監修 高野文子・序文・オビ文                                              飛鳥新社刊 1400円+税
「ODESSEY 1966~2003」岡田史子作品集episode2「ピグマリオン」
                         飛鳥新社刊 1600円+税

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女流漫画家西谷祥子

女流漫画家西谷祥子にしたに よしこ
1943年10月2日 - (本名:山田祥子)高知県高知市生まれ。 中央大学法学部法律学科卒業。

1960~70年代に活躍。

彼女の「週刊マーガレット」等の表紙絵が紹介されたサイトを紹介します。

西谷祥子ギャラリー目次 ←ここをクリックするとサイトに飛びます。

年配の方には懐かしく、若い方々にも新鮮なそして、レトロな感覚でご覧いただけると思います
西谷祥子
マンガを読む

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Author:shizuku883
「哲ちゃんの気まぐれART」にようこそ!!
オリジナルイラストや好きな音楽PV等UPしてます。
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